凡 例

本論考は、前稿「体系を否定する体系——ポストモダンの自己言及的矛盾について」の続論として位置づけます。前稿は、ポストモダン思想が「体系を否定する体系」として内包する論理的・制度的矛盾を検討し、「体系を否定する体系は、自分が生んだ廃墟に責任を負わない」という結論に至りました。

本稿ではその「廃墟」が、日本において具体的にどのような歴史的経路を辿ったかを問います。焦点は三つの連鎖です。第一に、1980年代における日本のポストモダン思想と大量消費資本主義の合流。第二に、その合流が生んだ倫理的基盤の溶解と、現在の世代的分断との構造的連続性。第三に、アメリカとの関係性という「大きな物語」の亀裂が、高市早苗に代表される政治的振る舞いとどのように接続するか。

特定の政党・政治家への支持または批判を目的とするものではありません。思想と経済と政治の連関を構造として読み解くことが本稿の目的です。

一、廃墟の相続——1980年代という分岐点

前稿の結語を再度引きます。「体系を否定する体系は、自分が生んだ廃墟に責任を負わない」。

この廃墟が日本において最初に可視化されたのは、1991年のバブル崩壊ではなく、その直前の時期——思想と消費が完全に融合した1980年代の絶頂期——に既に刻み込まれていました。廃墟は崩壊によって生まれたのではなく、繁栄の内部に最初から構造として埋め込まれていた。崩壊はそれを露呈させたに過ぎません。

1983年、浅田彰の『構造と力』が思想書として異例のベストセラーになりました。「逃走せよ」というキーワードは、資本・国家・家族といった固定的な構造からの脱出を論じるものでしたが、同時代の消費文化が求めていた「軽さ・自由・個人の解放」という欲望と完全に共鳴しました。思想的な切れ味と消費的な快楽が、同じ言語によって語られた。これが「一瞬」の正体です。

しかしその一瞬において、二つの本来は異質なものが区別されないまま合流しました。ポストモダン思想が解体しようとした「権力による固定化への批判」と、消費資本主義が要請した「個人の選択が自由の証明である」という論理です。前者は構造批判であり、後者は構造の内部での自由化です。この二つは本来、目的を異にするものでした。しかし1980年代の日本においては、どちらも「軽やかさ」「固定からの解放」「既成のものへの距離感」という同一の文化的身振りとして流通しました。

二、ポストモダンと大量消費資本主義の合流——何が起きたのか

この合流の内実をより精確に記述します。

ポストモダン思想の核心的な命題——「大きな物語への不信」「真理は言説が構築する」「意味は固定しない」——は、本来は批判的な認識論として機能するものでした。しかし消費資本主義の文脈に置かれたとき、これらの命題は別の機能を担いました。

「大きな物語への不信」は、集団的な倫理判断への懐疑として作用しました。「連帯」「公共」「正義」といった語は、ポストモダン的な洗練のなかで「素朴な理想主義」「時代遅れの大きな物語」として括られていった。その結果として空いた場所を埋めたのが、消費という個人的行為でした。社会に向かう言語の解体と、消費に向かう欲望の活性化が、同じ文化的運動として機能した。

「個人の価値観」という語がこの時期に急速に普及したことは示唆的です。「人それぞれ」「自分らしく」「こだわり」——これらの語彙は、ポストモダン的な相対主義と消費資本主義のマーケティングが共同で生産したものです。「あなたの選択があなたを表現する」という消費の論理は、「主体は言説によって構築される」というポストモダンの命題と、奇妙な親和性を持っていた。主体を解体する思想と、主体の欲望を刺激する資本が、同じ「個人の自由」という語の下に結びついた。

ここに根本的な倒錯があります。ポストモダン思想が批判しようとした資本の権力構造は、ポストモダン的な語彙によって正当化された個人主義によって、むしろ強化されました。「構造を疑え」という思想が、構造の最も強力な擁護者である消費資本主義と共犯関係に入った。これが1980年代日本における合流の実質です。

三、倫理的基盤の溶解——「それぞれの価値観」という定着

バブルが崩壊した後も、この合流が生んだ文化的慣習は残りました。思想的な流行は去りましたが、「集団的な倫理判断を下すことへの照れ」「権力への皮肉的な距離感」「正しさを語ることの野暮さ」は、その世代の文化的無意識として定着しました。

1995年は前稿でも触れた決定的な年です。阪神淡路大震災とオウム真理教事件。五千人以上の死と、意味の体系として機能したカルトの暴力。「意味は固定しない・大きな物語は終わった」という知的態度は、「何が正しいか」という問いが切実になった瞬間に応答できませんでした。

しかしその沈黙は、反省的な問い直しをもたらしませんでした。ポストモダン的な相対主義は敗北を認めず、代わりに「傷つかないこと」「コミットしないこと」「いかなる立場とも等距離を保つこと」という形で生き延びました。皮肉的な距離感が、倫理的判断の代替として機能するようになった。

この文化的慣習のなかで育った次の世代は、物質的な豊かさを知らず、相対化の洗練も持たず、しかし足場となる「正しさの言語」も与えられていませんでした。「それぞれの価値観」という言葉は、上の世代にとっては消費資本主義的な自由の表現でしたが、下の世代にとっては「あなたの苦しさを社会の問題として語る言語を与えない」という排除として機能しました。

ここで世代的断絶の構造が生まれます。倫理の基盤を消費文化のなかに溶かした世代と、その廃墟のなかで足場を探す世代のあいだの断絶です。

四、世代的分断の構造——廃墟を相続した者たちの政治

断絶の構造は、政治の言語において最も鋭く現れます。

上の世代——1980年代に青年期を過ごした世代——が持つ政治的語彙は、ポストモダン的な相対主義に浸透しています。「どの政党も同じだ」「政治に期待しない」「イデオロギーに染まらない」。これらは洗練された懐疑として語られますが、構造としては「判断の放棄」です。判断を放棄した有権者は、最終的に現状の追認者になります。

下の世代が「大きな物語」を求めるとき——それがナショナリズムであれ、強いリーダーシップへの希求であれ——上の世代はポストモダン的な語彙で「それは危険だ」と言います。しかしその批判は空疎に響きます。なぜなら、意味の基盤を解体したのは上の世代であり、その廃墟に育った下の世代が確かな足場を求めることへの批判は、自らの責任への問い直しなしには成立しないからです。

「若者が保守化している」という言説は、しばしば若者の問題として語られます。しかしそれは廃墟を相続した者たちの、当然の帰結として読まれなければなりません。意味の体系を与えられなかった者が、意味の体系を与えてくれるものに引き寄せられる——これは思想的退行ではなく、構造的必然です。

五、アメリカという「大きな物語」の亀裂

日本のポストモダン的な相対主義が批判しなかったものが、ひとつあります。対米従属という構造です。

戦後日本において、アメリカとの同盟関係はひとつの「大きな物語」として機能してきました。安全保障・経済成長・民主主義——この物語は、「ポストモダン的な懐疑」の対象から事実上除外されていました。浅田彰が「逃走せよ」と言ったとき、日米安保体制から逃走することは含意されていなかった。ポストモダン的な「大きな物語への不信」は、この特定の物語には適用されなかった。

その非対称性は、ポストモダン的相対主義と消費資本主義の合流が生んだ最大の政治的盲点です。1985年のプラザ合意による急激な円高誘導、バブル経済の形成と崩壊、その後の長期停滞——これらはアメリカの経済戦略と日本の対米従属構造のなかで生じた事態でしたが、「大きな物語への不信」を掲げた知的言語はこの構造を正面から問いませんでした。消費文化への批判よりも参加を選んだポストモダン的知性は、消費文化を支えた政治経済構造への批判も選びませんでした。

2025年以降、この「大きな物語」は亀裂を見せています。アメリカ・ファーストの政策、関税による同盟国への圧力、安全保障コストの負担増要求——「日米同盟は日本の安定の基盤だ」という戦後的物語が、その物語の供給者であるアメリカ自身によって揺さぶられています。

この亀裂は、日本の政治言語において二つの方向への圧力を生んでいます。一方は、対米従属構造を問い直し、より自律的な外交・安全保障の在り方を模索する方向。もう一方は、揺らいだ大きな物語を別の大きな物語——ナショナリズム、憲法改正、自主防衛——によって代替しようとする方向です。

六、高市早苗という政治的症候

高市早苗という政治家の振る舞いは、ここまで論じてきた連鎖の政治的帰結として読むことができます。

高市が体現しているのは、「大きな物語の再建」という政治的プロジェクトです。憲法改正・靖国参拝・選択的夫婦別姓への反対・自主防衛の強調——これらは個別の政策論争である以前に、戦後の「アメリカが与えた枠組み」を問い直し、それに代わる日本的な「大きな物語」を再構築しようとする試みとして構造的に読めます。

この試みが一定の支持を得ている事実は、ポストモダン的相対主義の文化的疲弊と無縁ではありません。「何も信じるな・すべては相対的だ」という文化的慣習のなかで育った者たちの一部が、明確な物語と明確な敵と明確な所属感を提供する政治に引き寄せられる——この動きは、廃墟の政治化として理解できます。

しかし同時に、高市の政治的振る舞いは別の矛盾を内包しています。「アメリカからの自律」を語りながら、対米関係の現実的な力学のなかで立場を調整し続けることの緊張。「日本の誇り」を語りながら、グローバル資本主義の構造から離脱する経済的ビジョンを持たないことの矛盾。「大きな物語の再建」を試みながら、その物語の内実を問われると、個別の政策論や感情的な愛国心の表明に収斂してしまうことの限界。

これらの矛盾は高市個人の問題ではなく、「廃墟の上に物語を建てようとする」という政治的試み全体が抱える構造的問題です。倫理の基盤が消費文化のなかに溶けた後で、その溶けた基盤の上に新たな物語を建てることはできません。基盤の問い直しなしに建てられた物語は、感情的な強度を持ちながら、論理的な持続力を欠きます。

また見落としてはならないのは、高市を批判する側の言語もまた、同じ廃墟から発せられているという事実です。ポストモダン的な相対主義を内面化した世代が「それは危険なナショナリズムだ」と批判するとき、その批判が立脚すべき倫理的基盤を、自らが先に解体していた——この自己矛盾に自覚的であることが、批判の誠実さの条件になります。

七、総括——廃墟に責任を負うということ

前稿の問いに戻ります。「体系を否定する体系は、自分が生んだ廃墟に責任を負わない」。

1980年代の日本において、ポストモダン思想と大量消費資本主義が合流し、集団的な倫理判断の基盤を消費文化のなかに溶かしました。その帰結は、「それぞれの価値観」という相対主義の定着、世代間での倫理言語の断絶、そして廃墟のなかで意味を求める者たちの「大きな物語への回帰」として現れています。

アメリカという「大きな物語」が亀裂を見せているいま、その亀裂を埋めようとする政治的試みは必然的に生じます。高市早苗の政治的振る舞いはその症候のひとつとして読めますが、より本質的な問いは、その試みを批判する者たちが廃墟への自らの責任を問えているかどうかにあります。

批判の言語が成立するためには、批判が立脚すべき基盤が必要です。その基盤を解体しておきながら批判だけを行うことは、ポストモダン思想が犯した同じ誤りの反復です。「体系を否定する体系」を乗り越えるためには、「倫理的判断を下すことへの照れ」を手放し、何が正しく何が正しくないかを、自らの言語で、自らの名前において語ることが求められます。

廃墟に責任を負うとは、そういうことです。解体の後に何が来るかを問わずに逃走した世代が、自らが生んだ廃墟を正視し、その上に何を建てるかを問い直すこと——それなしに、世代的分断の構造は変わりません。批判は、批判者自身への問い直しを含まなければ、批判として機能しない。

言語は常に、書き手が思っている以上に多くのことを語ります。そして政治もまた、常に、その社会の思想的歴史が思っている以上に多くのことを語ります。

2026年5月 藤原亮英