通りに残る音

朝の空気には、わずかな湿り気が残っています。夏の熱気は日中になれば顔をのぞかせるのでしょうが、人影の少ない時間の商店街には、まだ涼しさが漂っています。私は店の前に立ち、箒を手に、いつものようにタイル張りの通路を掃きはじめます。

箒の先がタイルをこすり、かすかな音を立てます。その音に混じって、どこかの店のシャッターが開く音が響きます。金属の重たい響きが通りを渡ると、一日の始まりを告げる合図のように感じます。

商店街のアーケードは、長い年月をかけてこの街の人々の暮らしを守ってきました。雨の日には傘を差さずに歩けることに安堵し、夏の陽射しの強い日には木陰のような優しさを感じます。子どもたちが走り抜ける姿も、老夫婦がゆっくりと腕を組んで歩く姿も、ここでは自然に溶け込んでいきます。

けれども、すべての風景が永遠ではありません。
朝ごとに眺めるこの通りも、やがては別の姿へと変わっていくのでしょう。アーケードの屋根も、タイル張りの床も、掃き慣れた箒の感触も、ある日を境に消えてしまうのです。

私は自分の年齢と、そんな未来を重ね合わせることがあります。あとどれくらい、この通りを掃き続けることができるのだろうと考えると、箒の動きがいつもよりもゆっくりになります。

しかし、人の営みはいつでも変わっていきます。新しい建物が建ち、違う光景が広がっていきます。それを寂しいと嘆くよりも、今ここに残されている時間を大切にしたいと考えるようになりました。

箒で舞い上がった小さな埃が、朝の光に照らされてきらめきます。その瞬間、私はふと立ち止まり、足元の影を見つめます。
この影も、いつか違う場所に立つのだろうと思うと、胸の奥に淡い感傷が流れます。

近くの軒先には、夾竹桃の花が咲いています。白い花弁が夏の光に揺れ、緑の葉と重なり合って、静かに季節の移ろいを告げています。その姿を目にすると、不思議と心が落ち着きます。どれほど街並みが変わろうとも、季節だけは変わらずに巡ってくるのだと気づかせてくれるからかもしれません。

商店街を歩く人々の姿は、これからも絶えないでしょう。たとえ風景が変わったとしても、人と人が行き交う営みは続いていきます。その流れの中で、自分が果たす役割は小さいのかもしれませんが、それでも毎朝の箒の音は、確かにここに存在した時間を刻んでいるのです。

夏の終わりの空には、淡い雲が浮かんでいます。秋を思わせる涼風が、アーケードの下を通り抜けていきます。その風に吹かれながら、私は今日も箒を動かし、通りに残る音を確かめています。

明日もまた、同じように掃くことができるでしょう。けれど、その「同じ」がどれほど続くのかはわかりません。だからこそ、この一日一日が愛おしく、かけがえのないものに思えるのです。

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