防音扉の向こうの、あの静けさ。マイクの前に立つ緊張と、それを見守る緊張。あの空間が、いま少しずつ形を変えようとしています。場所ではなく、人の中に技術が宿っていく時代へ。
アメリカでは、55年続いた有名なスタジオが今年閉まりました。理由は誰か一人の頑張り不足ではなく、自宅で録音する技術が良くなったことや、音楽にかけられるお金そのものが小さくなったこと。日本のスタジオも、実は円安の影響でアメリカより厳しい場所に立っています。
でも悲しい話だけではありません。場所という形を離れて、エンジニアという「人」に技術と経験が集まっていく。自分の機材を持って、必要な場所へ出向いていく。そんな働き方が広がりはじめています。
そして最近、神宮前のスタジオで嬉しいのは、台湾やベトナム、インドネシアの方々とのご縁が増えていること。一緒に音楽をつくったり、録音という文化について言葉を交わしたり。
日本も海外も、音楽をつくる人の割合はそれほど変わらないのだそうです。足りないのは人ではなく、支える土台。その土台を、海を越えて広げていくこと。それが、これからの小さなスタジオの希望になる気がしています。
まだ答えは出ていませんが、そんなことを考えながら、今日もスタジオで音を聴いています。
夜の言ノ葉堂
九時半。アーケードの灯りがひとつ、またひとつと落ちていく時間。
画像は、夜の言ノ葉堂です。
今年の夏は、尋常ではない暑さが続いています。
だから今年だけ、閉店の時間を少しずらしました。
日中の炎天下を避けて、涼しくなってから、静かに本棚と向き合えるように。8月31日まで、そんなサマータイム営業を続けています。
この写真は、その営業終わり際、入口のロールカーテンを閉める少し前の、玄関先の一枚です。
この時間帯は、いつも不思議な気配をまとっています。
賑わいが去ったあとの商店街には、静けさと、少しの寂しさが同居していて。
明かりの消えた店先を眺めながら今日の営業を終える準備をしていると、ふと、言葉にならない感情に胸をつかまれることがあります。
この商店街では、再開発の話が、今まさに動いています。
まだ先のことだと、他人事のように構えていられる話ではありません。
確実に変わっていくのだろうこの景色の中に立っていると、どうしても考えてしまうのです。
あと何年、この仕事を続けられるだろう。あと何冊、この本たちを、必要としている誰かのもとへ届けられるだろう。
そんな、答えの出ない問いを、ひとりつらつらと巡らせてしまう8月の終わりです。
それでも今夜も、ロールカーテンを閉め、鍵をかけ、明日もまた本を並べます。
届けたい一冊が、まだここにあるから。
2026.08.15
作家論
夜、店の灯を落とす前に、ふと手が止まりました。
北原白秋、そして島尾敏雄。二段の棚の中で、二冊がひっそりと付かず離れずいたのです。
白秋という人は、痛みをそのまま外に出すことをしませんでした。異国への憧れも、幼い日にだけ見えた光も、彼はいったん自分の内側で受け止め、静かに磨き上げてから、歌としてこの世に差し出しました。まるで、傷そのものを見せるのではなく、その傷が疼いた跡に咲いた花だけを、そっと手渡すように。潔癖なほどの優しさだったのだと思います。
島尾敏雄は、まるで逆でした。家庭という、誰にも見せたくないはずの場所に生まれた亀裂を、彼は隠すことをしませんでした。取り繕うことも、美しく仕立てることもせず、ただそこにある痛みを、痛みのままの重さで紙の上に置いていった。読んでいると、こちらの息までもが詰まるような瞬間があります。けれど、その逃げなさにこそ、私は彼の誠実を見てしまうのです。
磨く人と、晒す人。
美しく包んでから差し出す手と、包むことを拒んで、そのまま差し出す手と。
優劣などつけられるはずもありません。むしろ、そのどちらもが、痛みという同じものと、それぞれのやり方で正面から向き合った証だったのだと、今は思います。
季節は、夏の熱がわずかに緩み、どこかに秋の匂いが混じり始める頃合いです。
盛りを保ったまま静かに翳ってゆく花のような白秋と、その翳りをそのまま風に晒す島尾と。
灯を落とす前のこの数分間だけ、私は自分の中にある、飾りたい気持ちと、隠さずにいたい気持ちの、両方をそっと思い出すのです。