エッセイ

熊本地震とラジオの沈黙

七月の終わり、熊本で大きな地震があったという報せを、私はスマートフォンの画面越しに知りました。震度7。その数字を見た瞬間、体のどこか奥のほうで、何かが軋むような音がした気がしたのです。十五年前、東日本大震災のときに感じたものと、よく似た軋みでした。忘れていたつもりの記憶というのは、存外、消えてなどいないものです。ただ、日常という薄い布の下に、静かに息を潜めているだけなのでしょう。

被災したわけでもない私が、なぜこれほど動揺するのか。お客様には、そのことを悟られてはいけないと思いながら、日々の仕事をこなしておりました。けれど夜になると、当時の記憶が、音や匂いを伴って蘇ってくるのです。困ったことに、その苦しさを口にすることさえ、自分には許されていない気がしておりました。本当に大変な思いをしているのは、現地の方々であって、何の関係もない私がこうして塞ぎ込んでいるのは、身勝手ではないか。そうして自分を責め、その責めている自分をまた責めるという、出口のない一週間でした。誰にも言えぬまま、ただ息を潜めて過ごす夜。

自然というものは、つくづく容赦がありません。十年の間に三度、震度7という数字を熊本に刻みつける、その圧倒的な無関心。人間の願いも、備えも、祈りさえも、そこには届かないのです。人間の肉体などというものは、その前ではまことに頼りない存在です。骨と皮膚と、わずかな体温。それだけのものが、大地の震えひとつで、いとも簡単に光を失う。それなのに私たちは、この星を構成する無数の物質や生き物のなかで、人間という限られた枠組みの中でしか通用しない理屈を後生大事に抱えて、自然の振る舞いに対して悲しんだり、憤ったり、時には自然そのものを、まるで裁くように語ったりするのです。傲慢な話です。自然に、人間の都合など、はじめから関係がないというのに。

電気がなければ、スマートフォンはただの板です。通信網が絶たれれば、どれほど便利な仕組みも、沈黙するほかありません。ふと、鉛筆と紙のことを思い出しました。誰かの言葉だったか、それとも私が勝手にそう思い込んでいるだけなのか、もう定かではないのですが、電気を必要としない記録の手段こそ、人類がもっとも遠くまで、もっとも確かに運べる発明だったのではないか――そんなことを、ぼんやりと考えておりました。だとすれば、電源がなくとも受信できる鉱石ラジオのような仕組みは、文明と自然とのあいだにかろうじて残された、最後の橋のようなものかもしれません。私たちは、その橋を、いつのまにか自分の手で壊してしまってはいないでしょうか。

熊本には、古い友人が住んでおります。地震のあった日、連絡はまったくつきませんでした。東日本大震災や能登の地震の経験から、こういうときはインターネットよりも、地元のAM放送局が頼りになると学んでおりましたので、パソコンとスマートフォンでradikoを開き、現地の放送に耳を澄ませました。大型商業施設で爆発事故が起きているという報が、緊迫した声で流れておりました。

ところが、数時間後のことです。その放送局は、災害情報を打ち切り、プロ野球のオールスターゲームの中継を始めてしまいました。

電源を失った町で、もっとも頼りにされるべきAM放送が、その役目を自ら手放してしまう。にわかには受け止めがたい出来事でした。かつて東日本大震災のとき、私の故郷である岩手の放送局が、県民のために、寝る間も惜しんで放送を続けていた、あの熱量を思い出します。それと引き比べたとき、私の中に、うまく言葉にならない違和感が、冷たい塊のようにわだかまりました。

業務に支障のない範囲で、本社に問い合わせてみました。担当の方は、丁寧に、しかし申し訳なさそうに答えてくださいました。今の放送局には、かつてAM放送が担っていた使命を、体力的に全うすることが難しい。今はインターネットでの即時配信を主軸にしているので、そちらを見てほしい、と。その方を責める気持ちはありません。事情は、痛いほどわかります。ただ、停電した体育館で雑魚寝を強いられている方々が、どうやってインターネット放送を確認するのでしょうか。断水の情報を、どこから得るのでしょうか。スマートフォンの充電すら、ままならぬ夜に。

行政の方々や自衛隊の方々は、現場で懸命に人命と向き合っておられます。それは疑いようのないことです。泥にまみれ、瓦礫をかき分け、一人でも多くの命をと動く姿に、頭が下がる思いです。けれど、情報という、命に関わるはずのインフラそのものが、いつのまにか別の理屈――視聴率であり、広告であり、既に決まっていた編成表という理屈――に組み込まれてしまっている。そのことに、私は静かな、しかし深い衝撃を受けました。

思えば、私たちはずいぶん長いあいだ、自然というものを、克服すべき対象として扱ってきたのかもしれません。堤防で、コンクリートで、電気とインターネットで、自然の脅威を塗り固め、見えなくしてきました。便利さという名の忘却です。けれど自然は、克服されることを、はじめから拒んでいるのです。私たちがどれほど豊かな暮らしを築いても、大地が震えれば、その豊かさは一夜にして仮初めのものだったと知れる。にもかかわらず、私たちは懲りません。喉元を過ぎれば、また同じ速度で、同じ浅はかさで、消費という名の川を下っていく。備えることよりも、買うことを。祈ることよりも、消費することを選んでしまう。

三十年前の阪神淡路大震災から、被災地の風景は、さほど変わっていないのかもしれません。技術は進んでも、人の心のどこかは、あの日から一歩も進んでいない。むしろ、便利さに慣れきった分だけ、無自覚な弱さは深くなっているのではないでしょうか。電源がなければ何もできない体に、私たちは自分から進んでなってしまった。そうして、いざというときに支えとなるべきはずの仕組みまでもが、資本という、もうひとつの自然に飲み込まれていく。放送局を責めるのは容易いことです。けれど、その放送局を追い込んでいるのは、私たち自身の、日々の選択の積み重ねでもあるのでしょう。

自然に対して、人間はあまりにちっぽけです。そのちっぽけさを忘れたとき、私たちは初めて、本当に無防備になるのだと思います。夜が更けても、その違和感だけは、まだ私の中に、静かに残っております。

← テキストアーカイブへ戻る