論考
その音は、なぜ「マスタリング」と呼ばれているのか
AIウォッシングの音楽的断面
目 次
1.起点――手元に返ってきた音について
ある音源は、アップロードから数十秒のうちに「マスタリング済み」として返ってきます。広告の文言には、2026年現在の音楽制作業界におけるAIの進化が凄まじく、自動マスタリング処理の進化もまた凄まじいという言葉が並んでいます。実際にこの工程を通した経験から見えてくるのは、その言葉とは異なる手触りです。位相を極端に弄った音像のまま、帯域だけ整えられた音の塊として返ってくることがあります。中身を流れているはずの血の通った響きを欠いた状態として返ってくることがあります。AI生成イラストから漂う、あのべったりとした既視感と、絵の具のかわりに統計が塗られているような匂い――その音響的な等価物が、ここにあるように感じられます。
これは個別のサービスの完成度の差として処理されてよい問題ではないと考えます。広告とSNSの言説が「素晴らしい」「凄まじい」と語るとき、それは実態から離れた誇張ではないでしょうか。この疑いが、この論考の出発点です。
2.検証――何が失敗し、何が成熟しているのか
現役のミキシング・マスタリングエンジニアによる実機検証の報告があります。この記事の核心は、実は「AIマスタリング」ではなく「AIミキシング」サービスのテストにあります。約30トラックの楽曲を一括アップロードしたところ、実際に通過したのは7トラックのみで、残りを個別に読み込ませようとすると、プラットフォーム自体が繰り返しクラッシュしました。ようやく処理できたボーカルには、自動でピッチ補正が施されていましたが、それは楽曲のキーとは異なる誤ったキーに基づくものでした。これは、AIが「音程が外れている」という事実そのものは検出できても、楽曲が置かれているキーを和声的な文脈から把握する能力を欠いていることを示す事例として報告されています。ドラムを「もっと強く」という要求に対しては、低域を単純に持ち上げるという処理が返り、トランジェントの調整やパラレル・コンプレッションといった、ミキシングにおける「強さ」の実質とは異なる文字通りの解釈が示されました。
そして、この記事にはもう一つ重要な事実があります。マスタリング段階に進んだ時点でプラットフォームが再びクラッシュし、筆者はテストを断念しています。つまり、この記事はAIマスタリングそのものの音楽的な出来を評価し切ったわけではありません。むしろ同記事は、マスタリングとミキシングを明確に区別したうえで、マスタリングは「より単純な問題であるためはるかに進歩している」とし、消費者向けの再生環境では人間によるマスタリングとの違いに多くのユーザーが気づかないレベルまで成熟した、とまで述べています。両者を分けるのは、ミキシングが数十トラック間の相互依存的な調整を要するのに対し、マスタリングはステレオファイルという単一の入力に対する、より標準化された目標への処理である、という構造上の違いです。
日本語圏で行われたブラインドテストの報告も、これに近い輪郭を描いています。eMastered、iZotope Ozone、LANDRなど複数のAIマスタリングサービスと、プラグインのみで作業したマスタリングエンジニア、そしてアウトボード機材を併用したエンジニアの音を並べて比較したこの検証では、AIマスタリングは価格と処理速度において優れる一方、アウトボードを併用したエンジニアリングとの間には、温かみと細部の作り込みにおいて聴感上の差が確認されたと報告されています。別の記事も、AIマスタリングは音圧・バランス・明瞭度の向上には優れる一方、細部のニュアンスやジャンルごとの特性への対応には限界があり、プロのエンジニアは楽曲の意図やアルバム全体としての一貫性を踏まえた微調整を行える、と整理しています。
すべての事例が否定的に閉じているわけではありません。iZotope Ozone 10のMaster Assistant機能を検証した記事は、AIによる提案が高い精度で機能した事例を紹介しています。同記事の筆者は同時に、他の多くのAIマスタリング・サービスについて、セオリーから外れた部分を補正する方向性が強く、あえて極端な音に仕上げたい場面には適さない場合が多いとも記しています。セオリーから外れているからこそ格好良く聴こえるはずの部分が、AIによって平均へと均されてしまう、という指摘です。ここから浮かび上がるのは、「人間の調整余地を残す設計か、結果を丸投げにする設計か」という違いによって評価が大きく分かれるという構造であり、AI処理そのものへの単純な全否定では説明し尽くせない領域が、ここにはあります。
これらの検証を総合すると、見えてくるのは次のような構図です。文脈判断と相互依存的な調整を本質とするミキシングという工程においては、現状のAIは明確な限界を抱えています。一方、より標準化された目標に向けた単一入力の最適化であるマスタリングにおいては、AIはすでに一定の成熟を見せています。この非対称性こそが、次節で扱う呼称の問題の核心につながっています。
3.「マスタリング」という語の輪郭
マスタリングという行為は、レベル調整やEQ設定の集積にとどまりません。iZotopeが自社の学習コンテンツで示す整理によれば、自動マスタリングと呼ばれる処理の多くは、必ずしもAIを必要とするものではなく、コードを設計する人間の判断に導かれている場合もあります。そのうえで、AIマスタリングはあくまで自動マスタリングという大きな分類に含まれる一形態にすぎず、自動マスタリングという仕組み全体がAIを前提としているわけではない、という位置づけが示されています。
前節で見た非対称性――ミキシングにおける文脈把握の失敗と、マスタリングにおける相対的な成熟――を踏まえると、ある問いが姿を現します。マスタリングという語が本来指していたのは、文脈の把握、関係性の調整、意図の解釈という行為でした。一方、現在「AIマスタリング」という商品名で提供されているものの多くは、入力された音源を分析し、統計的に導かれた目標値へ近づけるという、単発の最適化処理です。この最適化処理が「相対的に得意」であるという事実は、皮肉なことに、そこで扱われている問題そのものが、本来のマスタリングという職能が担ってきた文脈判断や関係性調整からは切り離された、より単純な部分集合に縮小されていることの裏返しでもあります。同じ語で呼ばれているにもかかわらず、行為としての構造そのものが異なっています。単発の最適化問題として設計されたものを、文脈判断と関係性調整を本質とする職能の名で呼ぶこと――これは、技術の出来不出来を論じる以前の、命名の妥当性に関わる問題だと考えられます。
4.この呼称は、どこから生まれたのか
この呼称の混同は、自然に生じたものではないように見えます。マーケティング上の便宜という選択の積み重ねが、その輪郭を形作ってきたと考えられます。
AIの能力を実態以上に語ることは、近年「AIウォッシング」という語で呼ばれています。ある学術研究は、AIウォッシングをシステムのAI能力を意図的または過失により誇張する行為として定義しています。具体的には、ルールベースや事前プログラムされた仕組みを、まるで自律的に判断する高度なシステムであるかのように見せかける行為が、その典型例として挙げられています。同研究はまた、企業が動画制作や市場調査といった複雑な作業の完全自動化を主張する一方で、実際には品質維持や文脈解釈のために大幅な人間の監督に依存し続けている実態を指摘しています。
この現象は音楽分野に限定されません。米証券取引委員会(SEC)は、2024年3月、AI能力に関する虚偽の説明を行ったとして、投資助言会社Delphiaに22万5000ドル、Global Predictionsに17万5000ドルの制裁金を科しています。これがAIウォッシングを理由とした最初のSEC摘発とされています。さらに、複数の規制当局が、AI関連の虚偽表示に対する取り締まりを強化しているとも報告されています。これらの摘発に共通するのは、「AI」という語の使用そのものが、実態の検証を経ずに信頼を生む装置として機能してきたという構造です。
この構造を音楽制作の文脈に置き直すならば、次のように見えてきます。「マスタリング」「ミキシング」という、専門性と職能への信頼を伴う語を、文脈判断を行わない自動処理の名称として用いること――それ自体が、すでにAIウォッシングの一形態に近いと言えるのではないでしょうか。技術が稚拙であるかどうかという論点よりも手前に、その行為を指す名称として用いることの妥当性そのものが、問われる必要があります。
5.道具の選択という前提
ここで、誤解を避けるための前提を確認しておきます。人間の手によるもの、PCを介したもの、AIを介したものという制作手段の違いは、優劣の競争として扱われるべきものではありません。それぞれが異なる条件と利便性を持つに過ぎない、という見方は成り立つはずです。マスタリングにおいて何を選ぶかは、音楽性を最大限に引き出すための手段選びの問題であり、二項対立として語られるべきものではないと考えられます。
この前提に立つならば、問われるべきは「AIか人間か」という対立そのものではありません。何を選ぶかという判断を、誰が、どのような根拠を持って行うか、という一点です。AIサービスの広告が「AIの能力」を主語に語り続けることは、本来主語であるべき「制作者の判断」を後景へと退かせる効果を持つと見えます。
6.現場で起きていたこと――連鎖する判断の記録
ポピュラーミュージックのレコーディング制作を例に挙げます。マルチトラックでの録音を終え、ミックスダウンの工程に入ります。ディレクターが、直感的に――この「直感的に」という一語が、ここでは決定的な重みを持ちます――そもそもメインとして録音されていなかったピアノのフレーズを、イントロの主役に据えたいと言い出します。事前のプランにはなかった発想です。
エンジニアはこれを受け止め、当初の設計には存在しなかった、音響的にはやや無理を伴うバランスで、ピアノを軸としたイントロのバランスを構築します。ディレクターは、そのピアノとボーカルとの関係性が一つの線でつながるようなミックスのバランスを指示します。エンジニアは、そのバランスを実現するとピアノの低域が崩れることを察知し、ベースラインをそのピアノのフレーズに合わせて微調整しながらミックスを進めます。ワンコーラス目の冒頭、アレンジ上ピアノの音量を下げる箇所では、その空白を埋めるようにギターの特徴的なフレーズのボリュームが調整されます。サビにおいては、パーカッションのタンバリンに、教会音楽を思わせる大きなリバーブを付加する提案がなされ、エンジニアからは「それであればスネアドラムも同様の質感に揃えよう」という応答が返り、ディレクターはこれを快く了承します。
この連鎖の果てに、立体感のあるクリアで人間的なミックスが完成します。この経過は、単に「人間が手作業で行った」という事実によって価値づけられるものではありません。ここで起きていたのは、一つの判断が次の判断の前提条件を書き換え、その書き換えられた前提のもとで次の判断が下されるという、逐次的な交渉です。最初の一手――ピアノをイントロに立てるという、計画になかった選択――がなければ、後続のいかなる調整も発生しませんでした。
音楽と即興をめぐる論考は、この種の過程について次のように整理しています。機械が容易に複製できるのは結果としての対象であり、即興とは本来、過程そのものだという整理です。純粋な音楽的即興には予め定められた構造がなく、客観的に正しい演奏も存在しない、という指摘がそこに重なります。AIが模倣しうるのは結果としての音であり、その結果に至るまでの、二人の人間の経験知が往復しながら前提を更新し続ける過程そのものではありません。この区別は、比喩ではなく構造の記述だと考えられます。
このミックスを担ったエンジニアとディレクターは、これまでのキャリアを通じて積み重ねてきた仕事の履歴と、現在も日々続いている現場での作業とが、途切れることなく地続きになっています。過去に手掛けた楽曲の一つひとつが判断の蓄積として残り、それが今日のスタジオワークにおける耳の精度や、瞬時の判断の裏づけとなっています。この蓄積は、どこかの時点で完成して止まるものではなく、現在進行形で更新され続けている点に本質があります。だからこそ、この種の経験知は、単発の入力に対して単発の出力を返す構造を取りません。判断のたびに前提が更新される、逐次的な交渉として成立しています。現在のAI音響処理が前提とする設計――ある入力に対し、統計的に導かれた目標値への近似を一回で返す構造――は、この種の逐次的な相互交渉と、原理的に異なる作業単位の上に成り立っていると考えられます。
7.この構造を、誰が維持しているのか
ここまでの整理を、責任の所在が宙に浮いたままにしないために、もう一段踏み込む必要があります。
「AIマスタリング」という呼称が広告として機能し続けているのは、誰かが意図的に虚偽を述べているからとは限りません。価格の安さと処理速度の速さという利便性を打ち出す側と、その利便性を「マスタリングの代替」として受け取る側との間に、検証を挟まない合意が積み重なってきた結果と見えます。安価で迅速な処理を求める制作者側の需要、検索結果の上位に「マスタリング」という語を置きたい事業者側の需要、そして専門的な検証を経ずに記事化される情報の流通構造――この三者が噛み合うところに、誤称が定着する条件が整っています。
この構造から利益を得ているのは、検証なしに「AI」と「マスタリング」という語を併置して提示し続けられる側です。一方、この構造の維持に費用を支払っているのは、安価な処理を「マスタリング」として受け取り、発表物としての水準に届かない音源を世に出してしまう制作者自身であり、さらにその先で、位相を極端に弄った音像のまま帯域だけ整えられた音を「最新技術によるサウンド」として受け取らされるリスナーです。どちらか一方を断罪する形では、この構造は説明し尽くせません。検証の不在を許容し続けてきた双方の選択の集積として、この呼称は今日の形を取っている、と見るべきではないでしょうか。
8.結語
実機検証の記録を精査すると、「AIマスタリングは音楽的に使えない」という単純な図式では捉えきれない実態が見えてきます。文脈判断と相互的な交渉を要するミキシングにおいて、現状のAIは明確な限界を抱えています。一方でマスタリングという、より標準化された最適化問題においては、AIはすでに一定の成熟を見せています。しかし、この成熟こそが問いを鋭くします。「マスタリング」という語が本来担っていた文脈判断と関係性調整という職能の全体像から見れば、AIが得意とするのは、その職能のごく一部――統計的な目標値への近似――に過ぎないからです。
文脈判断と相互的な交渉を本質とする行為に、単発の最適化処理が同じ名称を与えられています。この名称の同居こそが、検証なしに「凄まじい進化」という言葉が流通する土壌を作ってきたのではないでしょうか。
問われるべきは、技術の進化の速度ではありません。その技術に、最初にどのような名前を与えたか――この、ごく初期の、ほとんど意識されない選択です。